a

a

地下アイドル運営のドキュメンタリー記録 ―1グループ目

前編

本記事は前編の概要の続きとなります。

endragon66.hatenablog.com

 

1グループ目

プロジェクト開始

4年前、サークルの後輩の女の子に誘われて、地下アイドルの運営プロジェクトが始まった。

当時は大学を卒業してから内定がなかったため、アイドル運営をすることで就活をしなくても良いという言い訳ができたことと、とにかく楽しそうという直観に従った。

それと、以前よりアイドルグループに楽曲提供をしたいという目標があり、ついでにこの目標も達成できそうと思ったのも事実だ。

 

K氏の能力

サークルの後輩(以降K氏)とは、一時的にDJユニットを組んでいた頃で、スタジオ練習、イベント本番のような楽しい時間がまた続けられる期待感が強かった。

プロジェクトが始まった当初は、これから何が起きるのか分からないワクワク感に常に包まれていた。

マックで打ち合わせをしたり、地下アイドルの現場に行ったり、下北沢で路上DJをしながらフライヤーを配ったり、下北沢のバーにふらっと入ったその場でDJしたり、飛び込みで原宿でスカウトもした(本当はスカウトするのに許可が必要だったことが後々判明)。

 

K氏が作ったフライヤーやHP、運用しているTwitterはどれも女子ウケが良かったことを覚えている。

プロデューサーとしてのK氏は優秀で、企画力、それからプロジェクトを引っ張っていく力に恵まれていた。

次第にプロジェクトに携わる人数も増えていき、みんなそれぞれがK氏を慕っていた。

 

オーディション

K氏の人徳によるものなのか、開催したオーディションには100人以上の応募があり、知名度の持たない個人の運営としてはかなりの大人数を集めることができた。

オーディションへの応募者の志望動機や写真といった情報が日々送られてくるほど、このプロジェクトへの期待感はどんどん高くなっていった。

 

まずは一次選考の書類審査のため、千葉にあるプロジェクトメンバーの家に集まる。

プロジェクトメンバーといっても、全員が大学生であるため、仲良くなるのにそれほど時間はかからなかった。

親睦会の後に、書類審査を開始。

数十枚にまとめられた応募者の情報に対して、記号を付けていく。

プロジェクトメンバーと議論しながら、二次審査に進めたい人が決まった。

 

二次選考では、面接と歌唱審査を行う。

場所は新宿のレンタルスペースで、選考は2日間に渡った。

1日当たりの面接人数は10人ほどで、20分間隔で応募者が入れ替わっていく。

この2日で、就活で受けた企業数よりも、面接する側としての回数の方が多くなった。

二次選考が終わり、プロジェクトメンバーで話を進めるうちに、合格者が決まったため、全ての応募者に合否の連絡を差し上げた。

 

X氏と対面

前編でも述べたが、X氏はプロデュースするアーティストをフジロックに出演させた経歴を持つ作曲家である。

ジモティで知り合い、メールでやり取りを重ねるうちに、顔を合わせることになった。

恵比寿駅で待ち合わせをして、私とK氏とX氏の3人で近くのバーに入る。

そのバーはX氏の行きつけらしく、店主の人と仲の良い様子だった。

X氏と色々と話をしているうちに、大手ゲーム制作会社出身で、現在は業務委託で楽曲制作をしていることを知った。(好きなアイドルの楽曲を作曲をしていたことも後々知ることになる)

そして、渋谷区に自宅があり、そこにスタジオが併設されているという話を聞き、X氏からの誘いを受けて見学する流れになった。

自宅にはスタジオらしく、ボーカルブースからProtools(高価格な業務用の音楽制作ツール)まで用意されていた。

音楽の話をたくさんして、その日は解散することに。

どの場面を切り取っても印象に残るシーンばかりだったが、特に記憶に残っているのは異常なほど綺麗な部屋と、そして床に落ちている髪の毛を一本一本拾ってゴミ箱に捨てているX氏の行動で、どこか病的なイメージを抱いてしまった。

 

オーディション合格者と顔合わせ

都内のカラオケルームで、プロジェクトメンバーと、オーディション合格者で顔合わせをした。

それぞれ数曲歌った後、今後の話を進める。

まずはあらかじめ作っておいた楽曲のメロディーと歌詞を覚えてもらうことから始まる。

楽曲を覚えた後は、レッスンでダンスの先生と一緒に振付を覚える流れだ。

デビューライブまでのスケジュール感も伝えて、いつまでに何を覚えるのかを確認してもらった。

オーディション合格者(以降、メンバーと表現する)同士の相性も良さそうで、取り急ぎの安心感を得た。

 

体調不良でK氏の離脱

楽曲制作、振付制作、メンバーのレッスン、スケジュール管理を順調に進めていたところ、K氏の体調不良により、プロジェクトから離れることとなった。

今後のプロジェクトはX氏が舵を取る方向で決まった。

K氏はプロデューサーとして活躍していた側面があり、グループの方向性や拡大力に課題が残ってしまうと思われた。

しかし、X氏の経歴を活かして、グループを大きくすること、どのようなマインドで音楽に取り組むべきかをX氏はメンバーと頻繁にコミュニケーションを取っていた。

K氏の発想力や人柄を支持してオーディションに参加したメンバーもいたが、まだこの段階ではそれほど大きな軋轢や不満はなかったと感じられる。

 

ライブハウス、イベンターに売り込み

メンバーがレッスン、レコーディングを進める中、今度はライブの出演に向けて動く必要があった。

地下アイドル運営のノウハウはなかったため、ライブハウスやイベンターに片っ端から売り込みをした。

ネットやSNSで情報を調べ上げ、連絡先の載っているライブハウス、イベンターに電話で30件、メールで15件連絡を入れた。

ライブハウスに飛び込みでデモCDを渡すこともあった。(アポ無し行ったため迷惑だったと思う)

関係者と連絡を取っていくうちに、デビューライブの日程が決まった。

レッスンをしていても、メンバーの歌唱力、ダンスの表現力はまだまだ未熟だったが、ステージに出て音楽ができる楽しさを味わってもらいたいと考えて、デビューすることを優先させた。

 

デビューライブ

特にデビューライブの時のことは良く覚えている。

ライブハウスにアイドルを同行させることは全くの初めてのことで、リハーサル、挨拶回り等、どれをとっても不慣れだったが、それでもどこか刺激的でやっとここまできたという達成感があった。

ライブも割と成功していて、その後の物販(チェキの撮影会)でも列が途切れることはなく、ライブに予約してくれた15名の人以外にもチェキを撮影してもらえた。

ライブ後、秋葉原のビルの階段からの景色は、大きな充実感によりとても綺麗に見えた。

 

拡大

デビューライブ以降、グループは好調で売上が伸びていった。

SNSでの評判が良く、ステージや物販でのメンバーの自由な振る舞いに一定の評価を得た。

この辺りはX氏の貢献によるものが大きい。

他にも、キャパ1,300人規模の会場に出演したり、テレビ番組の有○反省会に事務所を持たない地下アイドルグループとして取り上げられたりと、どんどん拡大していった。

順調にも思われた地下アイドル活動だが、ある一時期にまとまって起こったトラブルの数々により、グループは解散に追い込まれた。

 

メンバーの裏垢発覚

あるメンバーが配信するために別のメンバーからスマホを借りていたところ、配信アプリの認証の関係でTwitterの裏垢を知ってしまったらしい。

その裏垢には、メンバーと運営スタッフの悪口が書かれていたという。

この事実が発覚したことにより、メンバー同士での信頼関係にひびが入ってしまった。

実際、メンバーが辞める理由にも、この裏垢事件のことが挙げられていた。

 

X氏のメンバーへの熱愛

この件は、あるメンバーから相談を受けて知ることとなった。

X氏から長文LINEで口説かれているスクショをそのメンバーから見せてもらった。

他にも、日頃からX氏に個別で会いたいという誘いを受けていることも教えてもらった。

メンバーと運営の中でも恋愛は禁止していたため、後日X氏と直接話してみることに。

端的にまとめると、X氏曰く誰かに頑張りを認めてもらいたいというのが大きな理由だそうだ。

その気持ちを満たすのは別の手段を取るべきではと思ったため、X氏への不信感を募らせる結果となった。

今回の件と、先述の裏垢の件が重なり、グループは解散することになった。

3人いたメンバーのうち2人はセルフプロデュースとして活動、もう1人のメンバーは別グループのオーディションを受けて、合格していた。

そのメンバーは現在も別グループで活動している。

そして、セルフプロデュースとして活動していたメンバーは、後にX氏を引き入れることになった。

 

X氏のグループ乗っ取り

X氏は意図的に長文LINEを送り、グループを解散させて不要な楽曲や運営スタッフを切り捨てたうえで、再度グループを新しいものとして結成する狙いがあったのではと今でも疑っている。

幸いなことに、現在でもそのグループはX氏と協力しながら活動を続けていて、アイドル業界の重鎮である吉田豪や南波一海からの評価も高い。

しかし、グループの解散から、その後のX氏の介入を見ていると、どうしても最初から計画していたのではと考えてしまう。

特に恨み辛みもないが、気持ちの良いものではない。

こうして、1グループ目の運営は幕を閉じた。